インドで出産、大変だったでしょう、と言われることがある。うんうん、確かに大変だった。でも出産はどこでしても一大事。それぞれのドラマがあるに違いない。あえてインドだからこうなった?わけじゃないけど、わたしの場合「大変だった」ことを考えると、出産までの数時間と入院中のことだと思う。
<出産まで>
自然分娩が良いだろうと考えてはいた。インドでは帝王切開となるケースが多い、と聞いてはいたが、振り返って、こんな流れで帝王切開となるんだなあ、と納得してしまうくらいだ。
検診日に入院を指示され、深夜に受付をすませて来るべきときを待っていたが、陣痛がまったくやってこない。普通分娩で2泊3日のスケジュールとなっていて、これは一旦帰宅するのかなあと思っていた。
が、1日目の午前中先生がやってきて「さあ、破水させるわよ!」といきなりバシャ。処置中に出産までの流れを説明してくれた。促進剤を使うこと、赤ちゃんの頭のサイズによっては普通分娩ができない(=帝王切開)可能性もあること、3時間程度で出産となるので、「push push!がんばれ!」という感じ。ところがこの促進剤がわたしにはストライク級に効いて、数十分で間隔のない陣痛がやってきた。小休止できないままで、先生たちのいういきみどきがわからないし力も入らない。痛みにもだえていたところ、無痛分娩もあるがどうするか、子宮口が開いているので無痛は無理だ、といったやり取りが続き、疲労困憊だった。そのうちに帝王切開という手段もあるが、どうしますか、と判断を求められた。出産、ナウ!な状況で帝王切開の説明やメリット・デメリットを聞き判断するというのは酷なこと。とはいえわたしを守ろうとする夫の迅速な判断で、わたしはこれまた迅速に手術室へ運ばれたのだった。促進剤から解放され、移動中に手術の説明や様々な書類にサインをすませるうち、痛みも和らいだ。その後はあっという間。麻酔師がインドは好きか、毎日なにをしているのかと気を紛らわせてくれていると、「きみのこどもだよ!」とうまれたばかりのふにゃふにゃなコウがつれてこられたことを覚えている。言われた通り、3時間程度でコウと対面できた。その後別室へ移され、出産の感動も実感もないまま、数時間をぼんやりすごすこととなった。
<入院中のこと>
夜9時過ぎに個室に移され、その日は付き添いの夫とともに休むことができた。鈍痛があって、夜中に何度かナースコールをして痛み止めを打ってもらっただけで、特に問題もなかった・・・。
2日目、朝にコウが病室へやってきた。それからが大変だった。動くだけで痛くて、歩くことも出来ない状態なのに、授乳やおむつ替えをしなくてはいけなかった。カテーテルの管をひきずり、ほぼ全裸状態で出もしない乳を絞り出そうとする夫とわたし。授乳指導があるわけじゃない。医者に助けを求めるも、ナースがやってきて乳首をちらっとみて「問題なし!ベビーにくわえさせて!」と励ましてくれるだけ。コウが泣けば「痛〜〜っ!」と泣き叫びつつも子どもを抱き上げたりした。幸せなはずの母子同室、密室の病室、ぜんぜんほんわか〜なんかじゃない!阿鼻叫喚とはこういうことだと思った。
帝王切開では3泊4日で退院するのがインド流。まだまだ身の回りのこともできない状態だ。それでもさっさと退院した。先生もいっていたけど「お母さんは強くなくちゃ!ケアして動けば傷も早く治るから」というのは間違っていなかったし、わたしには良い指導だったと思う。
3日目の夜ははじめてコウと二人きりで過ごした。薄暗い部屋で、今の気持ちって、上海からウルムチまでの電車に乗り込んだときのそれと同じだなあと思った。あほみたいに混雑した駅で、どうやってじぶんのコンパートメントにのたどり着けたのかわからないんだけど、とにかく恋いこがれてた電車に乗れた!と思ったとき、急に武者震いするっていうのをまた経験した。ああ、乗っちゃったなあ…夢心地なんだけど一秒も無駄にはできないんだっていうどん欲になる気持ちもあった。ああ、始まっちゃったんだなあ、子育て。途中下車できないんだよなあ…。
おかげさまでぷくぷくして乳幼児っぽくなってきました!
出産後1週間目に抜糸をした。少し痛いときもあるけど、傷跡はもう目立たない。のど元過ぎればなんとやら、とはよくいったものだ。無事に元気に生まれてくれたことがなにより安産の証拠である。さー、いってみよう、やってみようインド出産!!
(※母乳が出ないと、ナースがこんなかわいい水差し?でミルクをあげてくれました。)
(※育児指導、授乳指導は病院で有料の別プログラムがあります)