お宮参りならぬサイ・テンプル参りに出かけた。お供えの花輪を買って、信者の列に仲間入りして祭壇の前まで歩いた。コウを抱くのはわたしの母。「見せて見せて」「抱っこさせて」「何て名前?」子どもが大好きなインドの人たち、母のまわりはいつでも大変な人だかりだった。「マイ グランドサン!」みんなに答える母はとても楽しそうだった。
(・・・お参り後のコウ)
インド生活約2ヶ月。母は思った以上にインド生活を満喫したようだ。週に何度かコトラマーケットへ野菜を買いに出かけ、今ではなじみのお店が何軒かあるとのこと。路地を散策し、金物屋さんで圧力鍋を買ってきたり、地元のテーラーでクルタを作ってもらったり、おじさんたちに混ざって屋台でお昼を食べてきたり…観光旅行では触れられない「ありのままのインド」みたいなところにどっぷりつかっていた。(逆に観光旅行ででかけるような「ザ・インド」的スポットには行けていないので、申し訳ない気持ちでいっぱいですが…)
スニタさんと片言の英語でコミュニケーション。このふたり、いつもけたけた笑いながら楽しそうに「買い物いってきま〜す!」と出かけるのだった。天気のいい日はベランダでもおしゃべり。インド料理を教えてもらったり、日本の料理を教えたり。ちなみにふたりはお揃いの靴を履いてます。
言い方は良くないかもしれないけれど、本当に母がいてくれて助かった。食事の用意、夫のお弁当、おむつの洗濯などなど、わたしひとりだったら絶対に生活が破綻していたと思う。おかげでわたしはじゅうぶんにからだを休めることができて、ずいぶん甘えさせてもらった。夜中にコウが泣いて困っていると、母がやってきてくれた。明け方ようやく寝付いたので、わたしも休ませてもらうのだけど、母はといえばコウのおむつを手で洗ってから、その日一日の仕事をスタートさせるのだった。
おむつの替え方、授乳の仕方、お風呂の入れ方etc…母に教わった。もう忘れた、と言いながらも「お風呂にいれるときは、赤ちゃんの手にタオルをこうしてにぎらせて、そうすると安心するんだって。おばあちゃんから教わった」と手つき、動作はスムーズで手慣れたもんって感じだ。おばあちゃんから母へ、そしてわたしへ伝わるお風呂の入れ方。なんでもないことだけど、途切れることないこんな営みがすごく愛おしく思える。あと何日、コウはおばあちゃんにお風呂に入れてもらえるんだろう。あと何日、わたしは母に助けられて甘えられるんだろう。スニタさんは最近、「ママ、ゴーバックジャパン、アイフィールベリーバッド、サッド」と言って毎日涙ぐみながら帰って行く。わたしもそのくらい素直になれたらいいのになと思う。
母には反発してばかりだった。それでも大学進学を機にうちを離れて以降、帰省し、東京に戻るたびさみしくなった。結婚してもそれは変わらず、子どもを持った今でも母の帰国をさみしいというより、哀しく思う。親離れできていないだけだと思っていたけれど、今わかるのは、母を心配する気持ちが強いんだということ。本当は近くにいて、このインド生活のように、なんだかんだいいながらも一緒に過ごしていられたらいいのに、という思いもある。だけどいつも母から言われていたことを思い出すーじぶんの生きる場所は、じぶんで作りなさいーそしてふと気づいた。母こそもっとさみしく、哀しい気持ちを持っているのではないか。大事な子どもが成長すること、遠くに行ってしまうこと。それを静かに見守るのは、強く凛とした覚悟みたいなものがないとできないんじゃないか。
子どもは産めるけど、本当の母親になるのは難しいことだと思う。そしてコウの成長と添いながらきっと時間がかかる。できることならお母さん、帰らないで。でもわたしも凛としなくちゃな。わたしの中のこどもとおとながコウを間に揺れている。
お母さん、本当にありがとう。