阪神大震災が起こったとき、わたしは高校生で、ニューメキシコにいた。1年間の交換留学、来年度は神戸から女の子がやってくる!と知った矢先、ホストファミリーはそれはそれは楽しみにしていたのだった。
しかし彼らが彼女に会うことは叶わなかった。彼女は震災で亡くなってしまったのだ。投函されなかった彼女宛の手紙は、しばらくダイニングテーブルにおかれたままだった。彼らのやさしい思いは、それでもどこにも届けられなかった。
以来わたしは勝手ではあるけれど、彼女の存在を忘れたことはない。とくに生きることを考えるとき。だからもっと勝手なのだけど、彼女はわたしの中でずっと生きているんだと思っている。日本を遠く離れての震災はもちろん、彼女がわたしの生き方を大きく揺さぶり変えてくれたんだ、と今になって思う。当時わたしができることといったら、大げさだけど、じぶんの進路を日本のためになにができるのか、という方向に寄り添わせることくらいだったのかもしれない(結局なにもできてないのだけど…)。
今回の大震災。子どもがうまれてインドにいる。具体的なアクションを起こせないことに、成長したつもりのわたしはとても焦りを感じた。でもまたすごくすごく揺さぶられている。無責任に批判したりマイナスな言動はすべきではないと思うし、大変な状況を回避できるように、近くにいるひとも遠くにいるひともひとつになるべきだと思う。
原発の問題にしても、わたしたちが作り上げた「こういう社会」、変えられるのはわたしたちだけ。「こういう社会」を受け止め、じゃあどうしていくのか、日本は大きな選択と転換期にあるのだと思う。そして個人としても大きな転換期であって、たぶんこのためにインドに来たんだ、というくらいのアクションにつなげなくては、阪神大震災以後生きてた意味がなくなってしまうように思う。
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生きることはときにとても理不尽だ。それでもわたしたちは明るい方向を見なくてはいけない。どうやって希望をつないでいくのか、それはとても難しいことだし辛いことでもあるけれど。
わんぱくな彼らも、たくましいあの男の子も…今頃世界のどこかで元気で過ごしていますように。