我が家のバスタブ(お湯なんかはれないから、あってもしょうがないバスタブなんだけど)は、傾いているし揺れる。ついてにバスタブと壁面を固定しているセメントもぼろぼろに崩れていて、そこから羽アリがぞろぞろ行進してたりする(思い出すだけでもぞっとする…)。
リビングのライトは竜宮城をイメージしているらしく、貝のかたちをしていてわりに暗い。そのほこりまみれの飾りがふいに落下するのはまあご愛嬌で、電球が火花とともに落下することもあった。
備え付けのタンスにいたっては、板に触ると砂のように崩れてしまう。
キッチンは、壁面面積の約3割が石というかコンクリートで、これも触るとぼろぼろ崩れたりする。
…と古い建物にはありがちな不都合があるのだけど、これまで、見てない&気づかないふりをして通していたし、触ると壊れる=余計な手を加えない、と言い聞かせていた。
しかし一念発起。せっかく出会ったこのおうち。そもそも少し古めかしいところが気に入って入居を決めたわけだし、長ーく、居心地良く生活するために、わたしたち流にハード面にも手を加えることにした(といっても躯体、構造に関わる部分は大家さん持ちで修理してもらうんだけど)。
まずはバスタブくんから開始。風呂場が砂場になるようす。
どこからか大量の砂を運んできて、それでバスタブを固定するらしい。タイルで壁を作って、バスルームの壁とくっつけるつもりだという。
執拗な、いや丁寧な泥塗装のようす…
バスタブの鉄足が錆びて壊れていたのが、傾きの原因だった。バスタブそのものも使用年数劣化が激しいので、わたしは(1)バスタブの交換(2)バスルーム清掃(3)タブ再設置を主張したのだけど、修理人はバスタブはそのままで、レンガと砂で固定するといってきかない。安く、手っ取り早く片付くからだと思うけど、肝心の大家さんも「彼とはもう20年の付き合いだからね〜、だいじょうぶだよ!」とお気楽のご様子。この施工だと、例えば排水が詰まったら大変な作業になることを訴えても、修理人が「オイラが掃除するからだいじょうぶだよ!」と言う。勾配について意見を述べるも「問題ないよ〜」とかわされる。なんだかいちいち心配するわたしが神経質すぎる気がしたし、ええ〜い、なにかあっても知らんぞ!(困るのはわたしたちだけどさ)という感じで、戦いをあきらめてしまったのだった。はあ……。
さて、そんなやりとりはおいといて、今回の気付きは2つある。
1つは、頼れる不動産会社の大切さ。客観的にアドバイスをしてくれ、大家さんとの交渉もあっという間にすませてくれた。いつもだったら「(わたし)これこれに困っているの〜」「(大家)どれどれ、まあたいしたことない。さあチャイでも」「(わたし)ああチャイおいし〜」的なやりとりが数日続くのだが、実にみごとにたった1日で大型修繕の段取りができてしまったのだった。ついでに、夫がここぞというときに現れてくれるのも、超効果的。
2つ目は、生活の過酷さを認識した、ということ。
配排水管をみて本当に驚いた。昭和3年竣工建物のそれらと比較すると、それこそモヘンジョダロ期か!と叫びたくなるほど。これではいくらシャワーヘッドを交換しても意味がない。我が家と同地区の新築物件で、大腸菌がわんさかみつかったという話に驚いていた自分をなさけなく思った。過酷といったら大げさだけれど、日本とは違う衛生環境のもとに生活している、ということを、すっかり忘れていたからだ。神経質になる必要はない。でも、きちんと現実を現実問題として捉えながら、安全に生活できるように注意しつつ、毎日に手をかけこころをかけなくちゃなあと思った。