左のリラがお姉さんで、コウを抱っこしているのが妹のマヤ(まばたきの瞬間を撮ってしまった…ヘーゼルアイがチャーミングなおしゃまな7歳)。大家さんの孫にあたるこの姉妹、お母さんのアヌさんと、夏休みを利用してインドに遊びにきている。アメリカで生まれ育った二人は、今回が2回目の来印だという。英語はもちろん、パンジャブ語、ヒンディ語を日常的に使いこなしているというから、こどもの言語対応力の高さに驚くというか、アヌさんの努力に感服というか…。
さて、アヌさん。彼女がアメリカに渡ったのは、30歳を過ぎてからのこと。お見合い結婚が破綻したのち、無一文の状態で英語教育のマスター取得後、大学で職を得て、そこで現在のご主人であるマークさんに出会ったそうだ。再びのお見合い結婚を勧める大家さんの大反対を押し切って結婚、渡米したという。親戚、家族を大切にする大家さん一家にとって、この再婚は家族のつながりを絶つのと同じこと。アヌさんは「はじめての人生の選択だったの」と明るく話してくれたけれど、新天地に飛び出して行ったその勇気と、決心の裏にあった思いを想像した。不安だっただろうし、悲しいこともたくさんあっただろう。良い言葉がみつからないのが情けないけど、「お母さんを尊敬するわ」と言うと、姉妹はばつぐんの笑顔で「自慢のお母さんなの!」と笑った。
人生って選択が可能だと思う。そう思えるって本当に幸せなこと。だけどその選択肢も知らないまま、うまれたところでずっと生きるひともたくさんいる。アヌさんのようなパワーには劣るけれど、「母国」を離れて暮らす「親」としていろいろ話すうち、わたしたちがこどもに願うことがとても近いことに気づいた。
さてさて大家さん一家。この夏休みはアメリカから、ムンバイから、チャンディガールから、元気いっぱいの子どもたちが遊びにきていて大騒ぎだった。そんな賑やかな中に誘い入れてもらって、わたしもコウもとても楽しく過ごさせてもらった。ふと思い出したのが新彊ウイグル自治区のティナのこと。カザフ人の彼女は、学校で中国語を勉強していて、同居する祖父母とは会話が困難になっていた。おじ家族はすでにカザフスタンへ渡っていたと記憶する。
最近また彼の地で暴動が起きたなあ…。彼女のお宅にお世話になったのは、寒い2月だった。夕暮れがあまりにも美しくて、思わず写真におさめようとしたときのことも思い出した。「どうして夕日なんて撮るの?最近できた鉄塔を撮ったら良いのに」
そうだよねえ、夕日なんて撮る変な日本人。小さなティナにとって記録すべきものは、鉄塔なんだなあ、としんみりしつつもちょっとさみしく思ったのだった。
みんな元気でいるかなあ。無事でいるかなあ。静かなまちは、どんなふうに変わったのかなあ…。人生は選択できるけど、責任も同時におうものだなあ…。
・・・ちなみに、リラとマヤ。この名前は、曾祖母の名前を引き継いだんだそうです。